やっぱり僕はたいやきさ。

まだ若いとも、もう若くないとも言われる皆さん、お久しぶりです。お元気ですか。

 

この度、約半年ぶり二度目の社会への復帰が決定したのでこの場を借りて報告させてもらいます。

 

次なる居住地は東京都杉並区、大学時代に過ごした街から程近い場所で生きていくのはいささか感慨深いものだ。

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これからは真面目に働かないとね。

 

再就職が決まって関係者各位に最もかけられた言葉だ。

"めんどくさい人"な僕は、「真面目にってどんなだよ」という疑問を、まだ捨てられない。

 

無遅刻無欠勤でサボらず出勤することなのか、志高く色んな仕事を覚えていく姿勢なのか、心から仕事を好きだと思い込むことなのか……。

 

腹で何を思っていようと、これらを難なく出来る・振る舞える人間が真面目ということになるだろうか。

 

だとしたら、真面目な人というのは、"自分の相対的な評価を上げるために頑張れる人"ということになるだろう。(あくまで個人の意見です)

簡単に言えば、自分の為に頑張れる人。

 

ハングリー精神も、向上心も、モテたいという欲望も人並みかそれ以下だった僕は、自分の為に本気を出し続けるのは無理だろう。

 

以前の僕はプライドが高くて、本気になれない仕事にダラダラ時間を費やすのがたまらなく嫌だったし、そもそも目の前の仕事を舐めてかかっていて本気で取り組もうとさえ思わなかった。

 

今思えば、実力以上の立派なプライドのおかげで平凡な生活を送ることにビビっていたように感じる。

 

無職になり、何もやる気が起こらず、社会復帰を決意して実家寄生ニートになり、まともそうな職になかなか巡り会えず、やっと自分がザコでカス同様の人間だと気付けた。

 

この自覚が、とりあえず"頑張る"ということには繋がるのではないだろうか。

(いやいや、ラグビー部のときだってそうだったじゃないか。自分がザコだって自覚があったから少しは頑張れたんじゃねーの?君はいつも気付くのが2、3テンポ遅いよね)

 

失敬、もう1人の僕の声が漏れてしまったようだ。

 

 

真面目でない僕が何かを頑張るためには、自分は大した奴ではないという自覚を持つべし、という簡単なお話。

そしてもう一つ、自分の外側に大切なもの、モチベーションとなり得るものを見つけていくことが出来れば尚良し。

それは誰かの成長や笑顔かもしれないし、社会の中の何かしらの変化かもしれない。

(別に無理矢理結婚して枷を作るとかって訳じゃないから勘違いしないでね♡)

 

仕事なんてのは基本的につまらないし面倒くさい。

学生から身分が変わったからと言って特に気持ちの変化はなく、なんとなくの義務感で仕事をするだけ。

だが、それでいい。

それが普通で、普通であることは悪ではないし、恐ろしい事でもなくなったから。

仕事に変な熱やプライドを持って、飲み会でマネジメント論を講じる老害管理職よりよっぽどイイじゃないか。

 

それでも、「本気になれる瞬間」が1秒でも見つかれば、それを大切に内に秘めていればいいし、そんな瞬間を増やしていければ素敵だとも思う。

 

理想の自分、過去の自分、他人との比較をして絶望する必要はない。不真面目な人間にとって絶望感は良薬にならないから。

現在の自分の立ち位置を誇るでもなく、恥じるでもなく、ただ自覚していればいい。

 

なんとなく日々を過ごし、楽しそうなことには手を出してみて、夢中になれる物に出会えれば超ラッキー&ハッピー、出会えなくても別に不幸ではない。

 

とりあえず1年くらいはこういうスタンスで過ごしてみようと思う。そんな器用な生き方できんのかね。

 

僕のことだから、すぐに心が折れたり無駄な悩みを抱えたりすると思う。その時は、またブログをシコシコ書くだけだ。

 

 

 

死後評価されるタイプのブロガーに、俺はなる!

 

 

さいなら。東京近郊にお住まいの方はお時間あるときに会いましょう。