死んでいないだけの皆さん、お久しぶりです。
早いもので、ニートにジョブチェンジして3か月が経とうとしている。
そして、最も受け入れたくなかった事を受け入れる時がやってきた。
俺は、空っぽの人間だった。
何かしらの才能も、好奇心も、生き甲斐も、やる気も、行動力も、夢も、何もなかった。
何もない、何者でもない、ただ飯を食らって糞をして寝るだけの、凡人以下の人間という生き物。
大口叩いてニートになった癖してそんな当たり前のことに今更気付くとは、なんて愚かな生き物なのだろう。
絶望
現段階では。
しかし、心の中の本田圭佑がこう叫ぶ。
「それは伸びしろや」と。
そう、何もないただの空っぽな人間だからこそ、何かになり得るのだ。
そもそも、たった20~30年間ぬくぬくと生きてきたくらいで、やりたい事とか、夢とか、理想の自分とか、向いてる仕事とか、才能とか、自分にしか無い何かなんて見つかる方がおこがましい。
だから、自分で勝手に限界を作って諦めるなんてほざく資格もない。
「見つかればラッキー。」くらいの気持ちで、下手な鉄砲を撃ち続けるしかないのだ。
撃ち続けていればいつか当たる。だから、今焦って当てなくても大丈夫。
(勿論、撃ったことに満足して軌道を確認しないようじゃダメだけどね。)
そう思うと、かなり気が楽になったし、将来の自分に希望が持てるようになった。
こんな気持ちは何年振りだろう。
ここで、一つの仮説に辿り着いた。
幸せとは、未来に希望がある状態のことなのではないだろうか。
今苦しくても生きている、そんな人達を支えているのは未来にある希望だ。
つまり、今、目の前にある事が苦しくても、それを乗り越えた先の未来に希望があれば幸せだと言っていい。
疲れたら休んでいいし、苦しかったら逃げ出して新たな希望を探せばいい。
所詮下手な鉄砲なのだから、失敗したり、途中で諦めてしまったり、苦しさに負けて逃げ出したりしてしまった自分を恥じることはない。
過去の功績や失敗に囚われて、「あの頃は良かった」「こんなことも出来ない俺は終わりだ」などと言って過去の武勇伝や愚痴でばかり盛り上がっているようでは、例え100億円持っていようと寒くてダサい負け犬なのだ。
だから、こんな仕事をしているからカッコイイとかダサいとか、何かが出来るか出来ないかで優秀とか無能とか、そんな物差しは存在しない。
問題なのは、未来に希望があって、今が幸せだと本人が思えるかどうかだ。
その希望は、ちっぽけでも他人に理解されなくとも構わない。
そのために必要なのは希望とか楽しみみたいなものを見出そうとする心構えだけで、他人や過去の自分との比較、生まれ育った環境や自らの選択を憂うことは幸せから遠ざかる行為だ。
生きるという選択をしているのなら、楽しく生きるために死ぬまで下手な鉄砲を撃ち続けていればいい。
1つも当たらなかったら、それを笑い話にして死んでいくだけ。
つまりどう転んでもハッピーエンド、優しい世界。
全国87万人のニートの同士たちよ
今日も動画視聴で現実逃避か?
俺にもこんな才能とパッションがあったらな~だって?
夢が叶わなかった?
アフリカ行って価値観変える?
根性が無いから何やっても無理?
ぬるいぬるい、ぬるすぎる!!
てめえの人生はもうお終いか?
死ぬ勇気も無いくせに?
諦めるために生きてんのか?
一発逆転?異世界転生?
いきなりでかい夢語ってんじゃねえよタコ
何?
やりたい事も、興味あることも、未来に希望もない?
探して無けりゃてめえで作れ
幸せは、歩いて来ないんだゼ☆
ゆっくり休んだらまた歩きだせばいいのさ☆
自分には何もない、空っぽの人間だという自覚と絶対的自己否定こそが、幸せへの第一歩なのかもしれない。
ニートになっちゃうような人には過去やらプライドやらを捨てるのは難しいよね。
何だか最強のメンタルを手に入れた気分になっているので社会復帰しようと思います。
コネとか裏口入社とかシンプルなオファーとか大歓迎です。