週末は絶対に髭を剃らない皆さん、こんにちは。
社会復帰からひと月が経過し、随分と現在の生活スタイルにも慣れてきた。
最近の僕はと言うと、平日は23時には就寝し、休日でも8時ごろには自然と目が覚めてしまう極めて健康的な生活を送っている。
今朝も、8時前に目が覚めた。
気持ちの良い朝だったので、1時間ほど布団の温もりに包まれた後、駅前のミスタードーナツへ出向いた。
朝食を摂るついでにおかわり無料のコーヒーを飲みながら、先日買った本でも読もうと家を出た。
否、“日曜日の午前中からコーヒー片手に本を読む自分“をしに行った。
僕が2回目のおかわりをした頃、店内は家族連れで混み合ってきた。
赤ん坊の泣き声や幼い子供の声で騒がしくなってきたので、僕は読書をやめ、矢継ぎ早にコーヒーを啜って店を出た。
繁華街でもない駅前のミスタードーナツなど、20代半ばの独身男性が居座っていい場所ではないと悟った。
そして、20年前の自分がそうだったように、幼い子供は何故あんなに落ち着きがないのかと考えた。
子供には無限の体力があるとよく言われるが、実際には子供の体力などたかが知れている。
シャトルランや50m走では絶対に5歳児には勝てるし、夜遅くまで起きていることもできる。
しかし我々オトナは、はしゃげば疲れることを、これまでの経験から知ってしまっている。
そしていつしか、予想外の疲れが怖くなる。
僕が眠くもないのに23時に寝るのはそういう理由だ。
親の脛をかじる、勉強する、働く、健康に生きる、友人や恋人を作る、家庭を持つ、貯金をする・・・。
何かで興奮することよりも、安心や精神的なゆとりを得ることが、あらゆる行動の動機になっていく。
これが大人の階段を登るということだろうか。
飲み会、カラオケ、ライブ、ハロウィン、ディズニーランド、W杯、旅行・・・。
オトナがはしゃぎスイッチをONにするには大変な金と労力がかかる。
24時間スイッチONの5歳児には、心の体力では敵いっこないのだ。
だがそれは悲しいことではない。と僕は思う。
安心を捨ててまでやりたいこともなければ、安心を捨てる覚悟も出来ない凡人だということを、ニート期間で嫌というほど味わってきたからだ。
それに、自由になったとてスイッチをONにし続けるのは難しかった。
であれば、スイッチをONにしたとき手放しではしゃげるように不幸や不安を取り除く。
実家が屋久杉のように太いなら話は別だが、不幸や不安の排除を目的とした生活も立派なものだと実感している。
賢い人はそんな事とっくに気付いてたと思うけど。
所詮労働なんて、不安を排除するための最もお手軽で簡単な方法にすぎない。
来たる時に備えて、心の体力をセーブしながら暮らしてゆこうと思う。
最近、よその子供に怒鳴り散らすヤバいおっさん見ないなぁ。