愛を探しにゆこう

BTSのメンバーの名前を一人も把握していない皆さん、こんばんは。


久しぶりになっちゃった。

別に忙しいとか彼女できたとかではない。
強いて言えば、考えること、自分と向き合うことから逃げていた。
だってしんどいもん。
ネガティブなマインドで会社員ごっこなんかできるかよ。

という訳で、最近は時間があれば筋トレをするか友人に会うか寝ているか、というのが僕の日常だ。

筋トレ、まだ続いているんです。
一昔前の僕を知っている人であれば、あの怠惰なお前が?と不思議に思うことでしょう。



以前のブログでは、何もないところからの成長がやる気となったみたいな事を書いたと思うけど、流石に驚くほどの成長はもう無いし、トレーニングをしている自分に酔うという感覚もなくなってきた。

じゃあ何故続けるのか。

筋トレがオナニーからリストカットに変わったからだ。

詳しく述べよう。

少し前までは、自己満足(筋トレしてる俺カッケー的なあれ)、そして自分に課した課題を自分で乗り越え自分で自分を褒めるという自慰のために筋トレを行なっていた。
これがオナニー的筋トレ。

最近は体に痛みや苦しみを与えることで、資本主義の中で発生する小さな悩みや不安を忘れることと、「生」を実感することが目的になっている。その副産物として体がデカくなればいいなといった感じ。
だからこれは自慰行為というよりは自傷行為であり、リストカット的筋トレと定義する。

ストレスの対処法として筋トレをしていると言えば聞こえはいいが、その実自傷行為なのでは健全とは言えないかもしれない。

仕事なんていつでもやめてやるぜという腹づもりでいるし、大した仕事をしている訳ではない。
けれどもプレッシャーや漠然とした不安をどこかに抱えていて、それを忘れ去るおめでたさをまだ獲得できていないから体を痛めつけて誤魔化している。

ヤワなハートが痺れ〜る〜〜心地よい筋肉の痛み〜♪
愛のしるし/PUFFY より改編して引用)

こんなことでは体が(ないしは心が)長くはもたない。
まあその時はその時と割り切ってもいいけど、今世の中を捨てるのは少し名残惜しい。

何故なら、まだ愛を知らないから。

最近、自分の周りで同棲や結婚が流行っているので、人を愛するとはどのようなものか知りたくなった。
愛によって、人は強くなったり弱くなったりするらしい。JPOPの名曲たちによると。

何人かの話を聞いて思うのは、愛には三種類あるということ。

愛したい>愛されたい型、愛したい<愛されたい型、愛したい=愛されたい型。

ちなみに僕は、愛したい>愛されたい型、通称KinKi Kidsタイプ。
愛したい<愛されたい型には、自分に自信のない女の子、ヤリマン、ナルシスト系ヤリチン、が多いイメージ。

そんなことはどうでも良くて、とにかく僕は誰かと愛し合ってみたいのだ。

ナルシズムを極めることはできなかったし、自傷行為を続けて生き延びることはできても幸福に近づいているとは思えないから。
まあ、愛し合うことが幸せなんて保証はどこにもないんすけどね。(負け組独身男性特有の斜に構えた小言風の妬み)

一人暮らしも8年目になると、誰かと共同生活をするビジョンが浮かばないし、自分の自由な時間を奪われたくないという気持ちもある。
ただニートの時感じたのは、自由すぎてもそれを扱える器量と気力がなければつまらないということ。(100億円でも持ってりゃ話は別だが)

であれば、多くの人は無意識に縛りプレイの生活を欲するようにできていて、愛する人のためという縛りが加われば余計なことを考えずに頑張れたりしちゃうのかな、マズローの五段階欲求とかそういうやつ?
詳しく知らんけど。

話がややこしくなるのでこの辺のことは次回以降書きます。


今回僕が言いたかったのは、最近は筋トレが自傷行為となっていること、それが行き過ぎないようにするための特効薬として愛を実感してみたいということです。

もっと簡単に言うと合コンとか女友達の紹介とか風俗のお誘いとか大歓迎だよ!ってことです。

ではまた。