冬のスターたち

今年も一年歳を重ねただけの皆さん、メリークリスマス。

 

今回は、今をときめくスターが同い年や年下だったりすると胸騒ぎするよねっていう話を長ったらしく書きます。

 

 

 

冬が来た。

俺の勘がそう言っている。

テレビでも誰かが言ってた。

 

基本的に冬は嫌いだ。

暑さには強い方だが、冬の寒さにはめっぽう弱い。

日照時間も短いし、風も強い。

夏は全裸でも暑いけど、冬は着込めば耐えられるとか言う奴がいるが、

厚着したらしたで、寒いときは寒いし、洗濯物は増えるし、電車や飲食店内は灼熱だし、安い居酒屋なんかではハンガーもなく上着を置いておく場所がなかったりして面倒くさい。あと冬服高杉晋作

 

冬のいいところと言えば、上着を着るおかげでポケットが増え、財布やケータイを突っ込めるのでカバンを持ち歩かなくていいことくらいだ。

 

いっそ冬眠してしまいたいが、目を閉じて春を待つのはもったいない。

 

日本シリーズJリーグルヴァンカップ有馬記念大学ラグビー選手権、花園、高校サッカー選手権、天皇杯M1グランプリ、etc…

 

晩秋〜冬は、何かの頂点を決めるイベントが目白押しだ。

 

新たなスターが毎年誕生する。

 

その瞬間を目にするために、つらい冬も歯を食いしばって生きている。

 

ナンバーワンを決める戦いは、やはり見応えがある。

しかしその見方も、ここ数年で昔とは随分変わったように思う。

 

 

少し話を逸させてもらおう。

 

ある友人が、「おじさんたちって何であんなに甲子園が好きなんだと思う?」と問うてきた。

 

確かに不思議だ。

勿論、野球や甲子園の面白さに疑問を持つわけではないが、おじさんたちの夏の熱狂ぶりは少し異様にも感じる。

 

友人曰く、大人になると純粋な勝ち負けを決める機会がなくなるから、目の前の勝負に熱くなっている球児たちが眩しく見えるのではないか、とのことだった。

 

確かに一理あるなと思った。

 

 

話を戻そう。

ナンバーワンを決める戦いの見方が変わってきた。

 

昔は、あいつすげーとか、この試合アツいとか、良くも悪くも単純に楽しんでいたし、ナンバーワンになった彼らに憧れを抱いていた。

 

現在も基本的には同様なのだが、テレビの中のスター達とテレビの前の自分を比べて絶望する時間が設けられるようになってしまった。

 

そんな資格がないことは百も承知だ。

 

何も犠牲にできなかった俺が、夢叶えし者と自分を比べるなど、烏滸がましいにも程がある。

 

だが意識は止められない、思っちゃうことは思っちゃう。

 

 

 

ナンバーワンを決めるのは、とても残酷だ。

どれだけ頑張っても負けたら終わりの一発勝負。

 

そりゃ、ゆとり教育だの多様性だの言いたくなるし、No. 1にならなくてもいい元々特別なオンリーワンとかいう曲が流行する訳だ。

そんなこと言ってたら毎年大阪桐蔭青森山田みたいなところが優勝してらぁ。

 

結局人は残酷なものに興奮するようにできてるよね。

 

そんなことはさておき、俺がテレビの前でひとしきり興奮した後絶望しながら思うことはただ一つ。

 

「かっけぇ。」

 

つまらない大人が作った社会のつまらない一員になった今、勝利の喜びや栄光よりも、戦いの中に身を置いていることが羨ましい。

 

大人になってから、悔しくて泣いたり、嬉しくて狂喜乱舞したりという機会はなかなかない。

 

サラリーマンには負けたら終わりみたいなシチュエーションはないし、甲子園とおじさんの話でもそうだが、明確な勝ち負けの線引きがそもそもない。

加えて、そのような世界に長くいるおじさん達は、甲子園球児と自分を比べるような馬鹿な真似はしなくなる。

だから少年の頃と同じ気持ちで楽しめるのだろう。

 

愚かな俺は、年収、地位、家庭、QOLのようなフワッとした物差しでフワッと優劣がつく社会で、本気の出しどころが分からずにいる。

 

単純に、何かを目指してがむしゃらになって、苦しんだ先にある快感を味わいたい。

 

青春コンプレックスか?

 

賢くないくせに中途半端にお勉強ができて、中途半端に要領良く生きてきたから、このまま何も考えずダラダラ中途半端に生きていけばラクなんだろうけど、

 

そうやって、いつしかテレビの前の何者でもない自分に絶望するアンテナさえなくなって、甲子園を無邪気に楽しむおじさんになるのだろうか。

 

 

 

それが悪いことだとは思わない。

 

ただ、冬のスターたちを見て感じる興奮や絶望を、生温い春の風に吹き飛ばされないよう、大事に抱きしめていたいと思う。

 

 

 

27歳。

そろそろ引き返せないところに来ている。