ハングリーコンプレックス

俺の人生には苦しみがたりない。

 

これは恵まれているようで実は不幸なことである。

 

俺の人生はずっとぬるま湯だった。

 

ヤンキーでもエリートでもアスリートでもオタクでもなく、底辺でも勝ち組でもない。

 

生まれも育ちもいたって普通で、なんとなく過ごしているうちに20代も前半戦が終了しようとしている。

 

 いや、俺の人生をぬるま湯にしてきたのは俺自身だ。

 

与えられた環境で、6割くらいの力加減でダラダラと過ごしていたら何となくレールに乗っていた。まあ、生まれた瞬間から死に向かっていくというレールは皆一緒なんですけどね。

 

要するに、自分の全エネルギーを注ぐ程魅力的な物事に出会っていない。

 

いや、それも違う。

 

結局のところ、与えられた(僅かな労力で得た)安全で居心地の良い環境を捨てる覚悟が出来なかっただけの意気地なしなのだ。

 

今になって思えば、自分が積み上げてきた(と勘違いしてきた)ものなんて、ちっぽけで大した価値はなかった。

 

だが、その瞬間瞬間での立ち位置、人間関係、世間体、安全ルートを失う等小さなしがらみに負けて、ぬるま湯から飛び出せなかった。

 

「挫折を知らない」と言えば聞こえはいいが、こういう奴らは総じて人生をかけたチャレンジをしたことが無い場合が多いだろう。

言わずもがな、俺もこういう人種に該当する。

 

無論、賢く楽な生き方で逃げ切るのも手だ。

むしろ、多くの人は賢く逃げ切る生き方を選ぶし、それが正しいか正しくないかなんてのは本人が決める問題であって、無職の俺が胡散臭い情報商材のように「これが正しい生き方だ!」などと断言することは到底できない。

 

現在、ぬるま湯を飛び出してはみたものの、特に目標もなく、ニートの友人とダラダラ過ごしたり、一人で映画を観て過ごしたり、まあ楽しいけど結構ひどい生活を送っているのが現状だ。 

 

飛び出したことに満足して、その後の行く先から目を背けてしまっている。

 

誰かが命がけで作ったコンテンツを享受していれば、いつか自分が突き動かされるきっかけに出会えると思ってしまっている。

 

「青天の霹靂」待ち状態。

 

こんな受け身の姿勢で生きるなら、黙って働いていたほうがマシだ。

 

分かりきってはいたことだが、目標やきっかけなんてのは行動を起こした先にしかない。

 

 いやいや、そんなに分かりきってるならわざわざ書くことないでしょ。

 

結局ね、才能がないのよ。

 

人を羨んだり、憧れたり、嫉妬したりっていう才能が。

 

そして俺には自己満足の才能がある。

 

このまま底辺に落ちぶれても、うまく自分に言い訳しながら「生命の維持さえ出来ればいい」とか言っちゃてそう。現にちょっと思ってるし。タワマン高層階に住んでる奴なんて皆どあほうでしょ。まあこれは別の記事で書こう。

 

どっかで役に立つといいね、この才能が。

 

とにかく、俺はハングリー精神という才能を持つことが出来なかった。

 

この才能がありすぎても、自己満足することなく死んでいくのかと思うと少しかわいそうではあるが。

 

死にかけたり、絶望の淵に立たされたり、大切な何かを失ったり、そういう経験がないと自分が何によって満たされていたのか、つまり何をもって幸せなのかが見えてこない。

 

こんな平和ボケした時代と国に生まれたのだから、それに気づかないまま死んでいくのも仕方ないと思う。

 

ぬるま湯を飛び出すという選択を正解にするためには、それらを体験し自分を見つめ直す必要がある。

 

今の俺に必要なのは自慰行為ではなく自己破壊だ。

 

明日から、自己破壊っぽいことやってみます。(無職特有の先延ばし癖発動)

 

では、労働者の皆さん明日もお仕事頑張って僕の分まで納税してください☆

 

 


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