合唱コンクールで体を揺らしながら歌っている生徒とは絶対に友達になれなかった皆さん、おはようございます。マッチョウィンプスです。
俺は酒が苦手だ。
何故かと言うとアルコールという名の合法ドラッグでは気持ちよくキマれないから。
そして味も大して好きじゃない。
酒が美味いとか抜かしてる連中は、その先に酔っぱらった快感があると分かっているから美味しいと感じるのか、味覚なり嗅覚なりがバグっているのだと思う。
俺はコーヒーが好きでブラックコーヒーをよく飲むが、初めから美味しいと思っていた訳じゃなく、カッコつけで飲んでいるうちに美味しく感じるようになった。
つまり、味覚がバグったのだ。
酒もコーヒーも所詮は嗜好品だから当人の好きなようにすればいいと思うが、酒好きの奴らはそこを弁えていない人間が多いからタチが悪い。
酒が得意な人間の思考回路は多分こうだ。
アルコール摂取→おいしい・キマれる→超ハッピー
だから、一緒に飲もうよ。
まあ、好きな物を勧めたい気持ちはよく分かる。
だが俺のように全く飲めない訳ではないが苦手だという人種の気持ちを考えてみてほしい。
俺にとっては、マズい上にバッドトリップしてしまう液体のドラッグを勧められていることを意味する。
喫茶店で、コーヒーが苦手な相手にブラックコーヒーを勧めているのと一緒。
クリームソーダ飲ませてやれよ。
だから、残念ながら酒を酌み交わしたからと言って絆(笑)が深まっ(笑)たり本音(笑)を語り合っ(笑)たりするということが、俺のような人種には理解できない。
俺はファミレスでも喫茶店でも居酒屋でも「思った通りの言動をする」という本質は変わらない。
別に酔っぱらっていなくても、盛り上がっていればTシャツを破いたりドギツイ下ネタや悪口をお見舞いしてやったりすることは可能だ。
しかし、数ある嗜好品の中で、酒には何故か同調圧力が発生する。
好きな人が好きなだけ飲めばいいというのが俺の考えだが、多少は飲める体質でありながら飲まないという選択をすることが理解されない場合が多い。(ノリが悪いみたいになることもしばしば。)
もしかしてアレか?
アルコールってLSDみたいに同じタイミングで同じ量摂取しないと違うトリップになっちゃうとか、そういう胡散臭い系のドラッグ??
きっと違う。合法だから。
じゃあ何故みんなで飲酒することにこだわる?
シラフの人間がいるとしらける?
酔っぱらっている姿をシラフの人間に見られるのが恥ずかしい?
全員酔っぱらっているという口実がないと何かをやらかす勇気がない?
好きなものを他人と共有したい?
それが相手を苦しめることになっても?
別に、親しい人との飲みの席や居酒屋が嫌いな訳じゃないし、酔っぱらって変な言動をしている人を見てもその人のことを軽蔑したりするつもりはない。
「楽しそうでいいな」くらいに思っているし、こっちもつられて楽しい気分になることだってある。
飲めないなら飲めないなりの、飲まないなら飲まないなりの楽しみ方があることを飲酒ガチ勢の方々は理解しているのだろうか。
アルコールを摂取するよりもシラフでいた方が心地よいし楽しい気分になれるから飲まないという選択を取っているだけなんだけど、これ説明しても酒好きの奴らには理解されないんだよな。
アルコールが無いと本音(笑)での会話も深い話(笑)も出来ない可哀相な人は仕方ないけど。
ここまでは酒でキマれる人間への嫉妬の思いをダラダラと書いたが、俺が酒に同調圧力的なものを感じる原因として、もっと本質的なものがあると最近思うようになった。
同じ体験をすることに価値を感じるか感じないかというのが、彼らと俺の本質的な違いではないだろうか。
勿論、彼らが前者で俺が後者。
つまり、彼らと俺とでは他人と親しくなるプロセスが違う。
彼らの場合、飲酒してハイになるという体験を共有することで他人との距離を縮める。
いたってシンプルだし、これが多数派であり正攻法なのは明らかだ。
部活にしろ大学のサークルにしろ、共通の体験を通じて絆を深めようとする狙いがある。
俺の場合、誰かと同じ体験をする前にその人にその価値があるか審査をしている。
その審査とは、何かしらの体験に対してその人がどう考え、行動したのかというエピソードを聞いて、共感出来るか否かの判断を下すことだ。
ややこしいから具体的な例を挙げる。
恋人とディズニーランドに行くという体験をしたA、Bの2人がいたとして、
Aは「パレードが綺麗で、アトラクションの世界観も最高で、待ち時間も彼女と手を繋いで話していたらあっという間だった。」と述べ、
Bは「彼女がペアルックを求めてきたけど恥ずかしいからと断ったら彼女の機嫌を損ねて少し険悪なムードになった。」と述べたとする。
その際、Bが見事審査を通過することになる。
一応言っておくと、Aの人格や考えを否定する気はない。幸せになってくれ。
つまり、俺にとっては「そいつの考えに共感(納得)出来る」というのが人付き合いにおいての最重要事項であって、それを満たした人物とだけ同じ体験をするというのが理想だ。
同じ体験をたくさんしたはずのクラスメイトや部活のチームメイトでさえ、今でも会い続けている人数がごく僅かなのは、そういう所が起因しているのかもしれない。
俺がとやかく言ったところで、多くの人は同じ体験を通じて距離を縮めようとするし、親しくなってもなお同じ体験を増やすことでより親密になろうとするから、飲みの場でわざわざ別行動を取る俺のような人種の考えは理解されにくいだろう。
理解し合えないのであれば、互いの歩み寄りによって平和を築くしかない。
俺は本当は酒を一滴も飲みたくはないが、同じ体験をしたいという彼らの気持ちを汲み取って、これからは1杯だけ酒を頼むことにしようと思う。
2杯目でコーラを頼んでも、誰も何も気にしないでいてくれる世の中になることを切に願う。
あー、アルコール免許制にならねーかなーー。