初詣に行って新年の目標を立てることで満足してしまう皆さん、あけましておめでとうございます。
今年は形になるといいですね。
最近、肉体改造に取り組んでいる。
というのも、ニート後半、金が底をついて実家に不法滞在していたのでやることがなく、万策尽きてニー友(ニート友達)の遅漏君と体を動かし始めたのがきっかけだ。
(二人とも実家のマンションにはオートロックがあるため、自宅警備の業務は忙しくなかった)
遅漏君とは中学時代からの付き合いであり、つまりお互いの実家が近い。
最初は近くの海沿いを散歩しながら
「いいとこ住んでるよなー俺たち」
と言って胸を痛めたり、
ジョギング中に下校中の小学生とすれ違って胸を痛めたりしていた。
プールに行って小学生に飛び込みのやり方を教わったりもした。
そんなこんなで、住所以外全て不定の二人はいつしか筋トレをするようになった。
とは言えジムに行くようなお金はなかったので、夜な夜な公園や駐車場に繰り出しては腕立て伏せやスクワット、その他にも公園の遊具を使って無課金で出来るトレーニングを行い、親のおつかいでくすねたお釣りでコンビニのプロテインドリンクを買って飲んでいた。
ごめんなさい。
せっかく筋トレをするならもっと飯を食おうと思い、ある日から夕飯は米を2合食べることにした。
つまり、穀潰しに拍車をかけた。
ごめんなさい、そしてありがとう。
筋トレとインターネット巡回の合間に職探しをする生活が1ヶ月続いた頃、ガリガリにやつれていた僕の体は8キロの増量に成功し、心なしか筋力も向上していた。
筋トレを開始してから約5ヶ月が経った。
食事量は更に増え、プロテインも粉末状の物を購入して毎日3杯ほど飲むようになった。
僕は寒いと家から出られないのでジムにはまだ通っていないが、ダンベルを購入し、家でのトレーニングをシコシコ続けている。
体重も順調に増えており、久しぶりに会った友人には「なんかお前ゴツくね?」と言われることも多くなった。
ここで!!いきなりですが!!!
筋トレして体に変化が表れ始めた頃の周りの反応第一位を発表します!!
「何目指してんの?」
いや〜、あるあるですね〜。
マッチョたちから共感の嵐が吹き止みません!
確かに、スポーツをする訳でもなく、誰に見せるでもない肉体を鍛えて何になると言うのだろうか。
それも、食費をかけ、空腹でもないのに無理矢理飯を腹に押し込み、使い道のない筋肉を嗚咽を漏らしながら鍛える。
全く合理的ではない。
では一体何のためにそんなことをしているのだろうか。
実を言うと、僕自身、この問いに対するはっきりとした答えはない。
何も目指していないし、マッチョになった程度でモテるような人間でもないことは理解している。
でも、それこそが、三日坊主、いや、三分坊主な僕がここまで継続できている秘訣だと最近気づいた。
目標や理想を掲げ、それに向かって努力するのは確かにカッコイイ。
だが僕のような意識低い系ネガティブ凡人は、理想と現状のギャップやそこに到達するまでの道のりの長さに絶望してしまう。
そしてすぐに挫折する。
だから、ただやってみる。
他人とも、理想の自分とも、何も比較せずにやる。
やった自分を褒めることで達成感を演出する。(これめっちゃ大事)
自分の成長を敏感に察知して喜ぶ。
こうして、良い循環が生まれる。
自分に苦しみを与えて、自分でそれを乗り越え、そんな自分を自分で褒める。
そう、これこそが究極の自慰行為だ。
多くの人は馬鹿馬鹿しいと思うだろう。
で、結局そんなことして何になるのだと。
どうも、資本主義と酒に飲まれて大切なものを見失っている奴が多いらしい。
メリットがなければ、他者から評価を得られなければ、他者より優れていなければ、その物事には価値がないと勘違いしてはいないだろうか。
快感は、苦しみの先にあるということを忘れてはいないだろうか。
ピカピカの泥団子を作っていた少年少女の頃を思い出してほしい。
あれほどまでに、自己満足な苦しみと快感があっただろうか。
メリットなど勿論なく、翌日にはただの砂になる。
それでも、手や服を汚しながら、足を痺れさせながら納得のいく泥団子を完成させた時には、達成感や充実感があったはずだ。
筋トレは、それを思い出させてくれた。
人生は、部活でも、受験でも、会社でもない。
だから、何も目指さなくていい。そして自分を測る物差しは自分で持っておいた方がいい。
まあつまり何が言いたいかと言うと、
人生=自己満足
自己満足=泥団子
女のネイル=自己満足
の式が成り立つので、
女のネイル=泥団子
は真である。
Q.E.D.
本当に言いたかったことは、
「筋トレ仲間募集してま〜す!」
またね。