君は何で満たされる?

 

過去の武勇伝でしか盛り上がれなくなってしまった皆さん、お疲れ様です。

 

 

 

我々は、物に囲まれて生活している。

家、寝具、食器、服、装飾品、家電、AIスピーカー、ソファー、車、スマートフォン

例を挙げればキリがない。

 

その中で、本当に必要な物と、そうでない物の区別がついているだろうか。

 

なにも、ミニマリストになることを推奨しているわけではない。

 

オシャレな家具や照明や観葉植物で家を飾り、オシャレなスピーカーとでかいテレビで流行りの海外ドラマを流し、オシャレなソファーに座ってオシャレなお酒とつまみを貪り、オシャレな恋人とオシャレなベッドでオシャレなパジャマを脱がせ合い、オシャレなコンドームを着けてオシャレなセックスをする。

 

こんな暮らしを夢見ている資本主義の奴隷は多いと思う。

勿論、こんな暮らしをして幸福を感じる人が大半だと思うし、本人が満足しているならばそれでいいと思うけど、このブログはそんなミーハーな人には読まれていないと思うので俺の意見を勝手に述べさせてもらう。

 

我々は、豊かになりすぎた。

それでも我々は、より便利で快適でオシャレな物を創り出し、それを揃えようとする。

果たしてその行為は、幸せにつながっているのだろうか。

 

スマートフォンは今や我々の生活になくてはならない物となったが、スマートフォンがなかった頃の人々は現在より不幸だっただろうか。

 

便利で快適な世の中には大賛成だが、便利さと快適さにはキリがない。

ソファーを買ったらクッションも欲しくなり、次はもっと大きなソファーが欲しくなり、さらにフカフカなソファーが欲しくなる。終いにはマッサージ機能付きのソファーが欲しくなり、ソファーのない生活は考えられなくなる。

 

つまり、人間に”慣れ”がある限り、いつしかそれが当たり前になってしまい満足できなくなる。

元々ソファーを持たずに生活できていた人間が、ソファーを持つだけでは満足できなくなってしまうのだ。

 

そうなると、より良いソファーを買うために働き、買ったソファーに座って時を過ごす。言い換えれば、物のために働き、物を使って生活するという構図が完成する。

物の奴隷である。

 奴隷が強くて頑丈な鎖を付けられて自慢しているのと同じだ。

 

考えてみてほしい。

タワーマンションの最上階に住み、家をオシャレで便利な家具と家電で満たし、ブランドの服や時計を身につけ、高級車に乗ってみたところで、てめえの生活が変わるのか?

どうせ、ジャンクフード食って寝てるだけだ。

 

物というのは所詮、道具でしかない。

所有する物でてめえの本質は変わらない。

 

ならば、物によって自分の心を満たそうとするのは、本人の幸せをゴールと設定した場合、合理的ではない。

本来必要も興味もなかったモンたくさん買ってもしょうがないでしょって話。

逆に、「本が大好きで、家中本だらけ」みたいな例は幸せだと思う。

 

金に余裕ができたからって、メディアが作った"勝ち組のイメージ”に近付く必要はない。

要は、幸せ=満足であって、「これくらいでいいや」と思ったもん勝ちだ。

例えば、iPhone6で充分だと感じてずっとそれを使っている俺と、常に最新のスマホを所有していないと満足できない誰かさんでは、どっちが幸せでストレスが少ないかは明瞭だ。

 

金持ちだから幸せ、勝ち組だから幸せ、最先端だから幸せという考えでは、一生幸せにはなれない。

 

君が思い描く幸せの中に、金で買えないものはちゃんとあるか?

 

以上、負け犬の遠吠えでした。

 

 

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ありあまる富

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